中村八幡宮

御祭神

誉田別尊(ほむだわけのみこと)

 第十五代 應神天皇を申し、父は第十四代仲哀天皇、母は息長帯比売命(神功皇后)。
 八幡神社(宮)の主祭神であり、神功皇后三韓征伐中に胎中にあって、既に皇位に即かれることに 決まったと言う。
 奈良、平安朝以来、八幡大神をもって應神天皇と崇める信仰が成立し、同時にこれに仲哀天皇 ・神功皇后を配して祀るに至った。

天照大御神(あまてらすおほみかみ)

 伊勢の皇大神宮(内宮)奉祀の主神。太陽の神とされる姫神であり、皇室の御祖先神にあたるとされ ている。
≪出生には三説あり≫
(1) 伊邪那岐命の阿波岐原で禊祓の折、岐命が左眼を洗った時に成る。(記)
(2) 伊邪那岐命・伊邪那美命二神が諸神を生み終え「天下の主」として生む。(紀)
(3) 岐命が尊貴の神を生まんと仰せ左の手に白銅鏡を持った時に出生。(紀)
と「古事記」「日本書紀」の記述にある。
記紀神話には、「尊貴の神」「天下の主」としての大御神の神格(徳)を解明する記述が多くある。

五丹大神(ごたんのおほみかみ)

 資料焼失の為、詳細は不明である。

倉稲魂命

《吾妻稲荷神社》( あづまいなりじんじゃ)(境内社)
 農耕民族にとって稲は最も大切な食物であり、従って稲そのもの或いは稲をはじめ五穀を守護 する神の存在が考えられる訳であり、ここに倉稲魂命となる。京都の伏見稲荷大社をはじめとする 稲荷神社は主として祭神に倉稲魂命<宇迦之御魂神(記)>を仰ぐ。
 ※<稲荷信仰>京都伏見稲荷大社主祭神である宇迦之御魂神の信仰である。
宇迦之御魂神は、五穀をはじめすべての食物や蚕桑の事を司る神で、「稲生り」が約音便により 「イナリ」となったが、その神像が稲を荷っているところから「稲荷」の字を充てたと言われている。
 わが国は往古から農業国で、深く農耕神を信仰し、これが自然に稲荷信仰と結びついたと考えられる。
中世から近世にかけて工業が興り、商業が盛んになると、稲荷の神格も農耕神から殖産興工業神・商業 神・ 屋敷神と拡大し、「衣食住の大祖、万民農楽の神靈」と仰がれ、農村だけでなく、大名・町家の 随所に稲荷神が勧請されるに至った。
 因みに稲荷神の神使(お使い)をキツネとする民間信仰は中世にまで遡り、これは宇迦之御魂神の一名 を「御饌津神」(みけつかみ)というので、キツネの古名のケツとの音通から「三狐神」(みけつかみ)の 字を充てたことに基づく。
 仏家では稲荷神を経典中の「茶枳尼天」(だきにてん)に習合して祀り、狐に付会しているが、これら は本来的な稲荷信仰とはいいがたい。
 稲荷神社では、二月の最初の午の日を祝う「初午祭」が執り行われるが、これは、伝えによると、 京都伏見の稲荷神社の祭神が、山上三ケ峰にお降りになったのが和銅四年(711)二月十一日(又は九日)といい、 その日が初午であったから縁日にしたと言う。
 ※『境内社』とは…。
神社の境内に本社とは別に祀られている社のことで、別法人でなく、本社 の管理をうけ、氏子なども特別にないのが普通である。
 中世以降、熊野・八幡・天神・祇園・神明等に対する信仰が盛んになると共に全国の有名神社が 次第に境内に勧請されて増加し、これが現在もおよそ踏襲されている。

忠霊祠

 大東亜戦争をはじめとして戦死、戦病死された中村地区の氏子の英霊四百四十余柱を祀る。