中村八幡宮

中村八幡宮略記
中村八幡宮は、中村町・八幡町・睦町・山谷・平楽・唐沢に住む人達が、
健康で豊かに暮らせるようにお守り下さる氏神様です。(氏子約9,650世帯)
神奈川県横浜市南区八幡町一番地
祭神
・譽田別尊(ほむだわけのみこと) (第十五代應神天皇)
・天照大御神(あまてらすおほみかみ)
・五丹大神(ごたんのおほかみ)
由緒
 中村八幡宮の創立年代は不詳であるが、口碑によれば醍醐天皇の御代、延喜年間(約一千年前) には、既に此の地に奉祀され、八幡大明神と称したと伝へられる。
 新編武蔵風土記には「八幡社棟地二畝二十八歩村の中程に建てり鎮守と五丹大明神を相殿とす。 是れ五丹大王を祀れるなり。玉泉寺持ち」とあり、明治六年村社に列せられた。
 當宮は、古く神地神田等を有したが、明治十年地租改正の際、或は上地となり、或は散じたとされる。
 源頼朝が鎌倉に幕府を樹て、鶴岡八幡宮を勧請せられてより毎年一回、幕府より當宮へも幣帛を 捧げられ、又北條氏に至っては、米穀又は田地を寄進されたと伝へられる。
(現に當宮より鎌倉に通づるに俗称鎌倉道と云ふあり)
また、當宮神職は、文政年間から鎌倉郡「舞岡八幡宮」(現在戸塚区)の社家「關家」の兼務するしきたりであった。
五世・關 左門】、【六世・關 豊丘】、【七世・關 左門(明治7年〜大正2年)】、【八世・關 博明(大正2年〜10年)】、【 九世・不明】、【十世・關 博明(大正14年〜昭和7年9月)】、【十一世・海老原 寛夫(昭和7年〜平成8年1月)】、【 【十二世・關 庚朗(平成8年11月〜15年5月)】。
【境内地】5831.4u(約1767坪)

※「額面」(縦78cm 横44cm)
「八幡宮」正樹龍眼書と彫刻され、天保2年9月に田辺新六、田辺七郎衛門両氏が奉納、其の後、 慶応3年9月に社殿を建立した大工の久良岐郡本牧間門村の渋谷左京藤原延徳方に在ったのを 三代後の渋谷由蔵氏より納められた。
※木彫「獅子頭」一対
  渋谷由蔵氏より額面が納められた折に一対の木彫獅子頭も奉納され、奉納者は間門町渋谷音松とある。
※「御神木」 シイ(椎) 樹令 約180年 (昭和49年度銘木古木指定)

額面/木彫「獅子頭」/御神木
祭事
歳旦祭(さいたんさい) 1月1日(11時)
夏越の大祓式
(なごしのおおはらへしき)
毎年6月最終日曜日(午後4時)
例祭(れいさい) 8月15日(11時)
忠霊祠慰霊祭 8月15日(12時)
年越の大祓式 12月31日(16時)
除夜祭 12月31日(22時)
日清・日露戦歿者慰霊碑写真
<お百度参り>
神仏に祈願するために決まった距離を百度往復して 拝む参詣の一形態で、俗にお百度を踏むという。
 何度も参詣することで祈願成就の可能性を高めようという心意から生まれたものと思われ、もとは百日間 にわたり日参する百日詣が簡略化されたようである。
 鎌倉初期頃には既に行われており、社寺には目印として百度石なる石柱が立てられている事が多く、願掛け の断物(たちもの)とも通じる一面がある。